「城下町新発田のお陰様染め」 染職人 山田真嗣
染色工芸藍染職人 山田 真嗣(まさつぐ)
昭和28年 城下町新発田(しばた)
市に生まれる
46年 京都市の丹下信商店に
弟子入りし修業
藍染工芸作家・丹下雄介氏に指導を仰ぐ
49年 新発田市にもどり家業を継ぐ
60年 再び京都で藍染めを修業
平成 3年 京都で藍抜染めを修業
不思議な紺屋業
思えば最初に染めに出合ったのは、小学校低学年の頃でした。
それは不確かですが、クレヨンに似た「ソメールペンテル」というもので、棒状の染料で自由に絵を描き、その後アイロン処理をすることによって描きあげた絵は洗っても色が落ちなくなる。
普通の絵の具ではすぐに水に流れてしまう。
子供心に染まるということの不思議さと、魅力を強く感じたことを覚えています。
夢が現実に変わるとき
私は祖父を初代に持つ紺屋三代目。
二代目の父は私が小学校2年の時に死去。
やがて祖父の指示のもと、京都に修業に出ることにより、"染め"に対しての少年期の不思議と興味が現実の仕事となり、未来への夢に変わることとなりました。
井の中の蛙、まして田舎の蛙には京都は想像をはるかに超える大都会でした。
歴史的背景の中、言葉・文化・生活習慣と全てに圧倒されるに余りあるものでした。
やがて仕事・環境にも慣れ、あらゆる経験と興味が加速する毎日が続きます。
しかし、家庭の事情(祖父の死去)で里帰りを余儀なくされ、ひとまず修業を終えることとなります。
三年強と短い修業期間ではありましたが、私の中で染色というものの、無限大の可能性と魅力を与えてくれるには十分な時間でした。
多くの経験を通し夢が目標に変わっても、ここ新発田では京都との染色環境の違いが大きすぎます。
その違いは十年間という時間を一瞬のごとく過ぎ去らせるほどの苦闘の連続でした。
その間に京都で培った染色への憧れは、絹から綿製品へと変わっていました。
同じ染色方法を用いて低価格を実現させる。
試行錯誤の末、ようやくできた製品も提供する対象が見つかりません。
そんな苦労を一掃する時が待っていました。
その日は突然やってきました。
出会いの日です。
藍染めをやりなさい
それはある講演会での事。
講師は(財)北方文化博物館の館長・伊藤文吉氏。
一時間半ほどの講演も終わりメンバーの自己紹介。
いよいよ私の番、「死語になりそうな染物屋です」。
その言葉に館長さんはすかさず、「初代・伊藤文吉(現在八代目)の嫁さんは染物屋から貰ったんだ」、そして「藍染めをやりなさい。館内の売店に品物を並べてみなさい」。
そんな言葉を返されました。
これはお言葉を頂戴したということです。
私は間をおかず「数ヶ月時間を頂きたい。必ず商品(作品)をお目にかけにあがります」。
周囲のことは何も目に入らず、自分だけの世界で大きく夢を膨らませ、やがて帰宅される館長さんに対し、心中合掌でお送りしたことを覚えています。
秋も終わりの頃でした。
再び京都へ
言うまでもなく私の知るところでは、藍染めの指導をしていただける処などありません。
むしろ代々伝わる秘伝・手の内を明かす訳にはいかない、という印象が正しいのかもしれません。
指導を頂くことに無理があることを悟らされ、幾日か経ちました。
白いものが上空から落ちる頃になっていました。
そんなある日、ふと脳裏をよぎったのが京都の修業先でした。
だめでもともと、力なく電話をした向こうで、聞きなれた親方の声が暖かく「なんでもっと早く相談しなかったのか、力になろう」。
再び京都での修行生活です。
十年前の修業では夢と希望は形の無いお土産でした。
そして今はその目的をかなえる術を手中に収めての帰路です。
車窓に広がる真っ白い雪景色の中に、少しずつ染め上がる藍色の作品達を想像しながら、胸躍らせた時間を思い出します。
しかし実際に持ち帰った知識は温度との戦いでした。
やがて春の声と共に手描きローケツ染めによる藍染めのハンカチが出来上がりました。
お客様の声が最強の宣伝力
その後、藍染め・ローケツ染め・藍抜染をベースに商品開発を進め、新潟県そして新発田市の観光土産品・特産品として推奨品の資格を頂き、販路の拡大に努めました。
お客様のニーズを知る為に、全国のデパート物産展にも積極的に参加し、商品チェック・実演での製作工程PRなど、直接、販売の最先端の経験を積むことにも心掛けました。
今では北海道から福岡まで、物産展を通してお付き合いが広がり、写真を添えられた礼状を頂戴するなど、多くのご支援を頂いております。
お買い求め下さったお客様のお一人お一人が、納得し満足し、商品に対して理解を深めていただくと、やがてお客様が最強の宣伝力になってくださいます。
家族応援団
全て私と家内・母親の三人、時に子供たちの手を借り、三人四脚で仕事を楽しみ、感謝の気持ちを込めて、今日よりも明日、そんな日進月歩の製作精神で作品たちを作っています。
大量生産に対して一つ一つの手作りは、お買求めいただいた方々の逸品物への意識を高め、製作者同様の商品知識を持とうとする消費者の願望をも刺激します。その品物を持つ喜びは、いずれ温もりある手染めを身に付けるお客様の人柄にまで入り込めるものと確信しています。
お買求めいただくことが、明日の技術につながり励みとなり、そしてそれはお客様のもとに再び届きます。
この繰り返しが製作する者の真の喜びであると私は信じます。
まさに、お陰様染めと心密かに仕事に励んでいます。
修業時代の緊張感は、時として忘れやすく壊れやすいものです。
あの時の思い出、そして情景を確かめる為に、初心に帰ることを忘れず、明日の技術を目指し、作り続けたいと思っております。
感謝
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